志木市郷土資料館からの敷島神社の富士塚

  午後一番に歯医者の定期検診の土曜日。お出かけはその後、昼下がりのスタート。そんなに遠出はしないとして、気になっていたのは先週のいろは樋などの志木市の辺りの用水関連。
 近くに志木市の郷土資料館があるとのことなので訪ねてみる。

 志木市の歴史を縄文から年代順に追って展示がしてある。このあたりは縄文海進で海岸だったこともあり貝塚があったり、土器類も充実している様子。
 いろは樋の歴史や遺物も残っていて一枚物の数メートルある板は当然の使用感はありつつも重厚で威厳のようなものを放っていて圧巻である。
 お目当ての当時の用水と街路の写真や地図が当然展示されていてる。これを見に来た。
 ちょうど学芸員さんに声をかけていただいて、色々とお話をお聞きすることができ僥倖。
 いろは樋のお話、野火止用水のお話、大変興味深い。玉川上水から分水して流れる野火止用水は約20km。小平から始まり志木市で新河岸川に合流する。
 江戸時代に作られたそれは40日で作られたと言われているそうだ。そんな訳あるかいと、学芸員さんも言いたげであったがそのように言い伝えられているらしい。しかし当初は水が流れず、責任問題になったが数日後に雨が降り一気に水が流れたことで安定して通水するようになったと。面白い。プロジェクトXか。
 野火止用水は、用水の両端に街道が通っていたり、神社の境内を通ったりもしているそう。残念ながら志木市のあたりの用水は暗渠化したりで目に触れる形ではあまり残っていないらしい。でも、復活、復元を望むファンは結構いるよとおっしゃっていた。写真で見ると確かに、用水があって両側に街路があって並木や家屋が並ぶさまは郷愁を誘う何かがある。
 面白そうなので、野火止用水の流路探訪と国分寺崖線の探索をまとめてぶらぶらしたいところ。

 ほかにご紹介いただいた志木市の見どころ。

・河童伝説
 馬盗人の河童を捕まえ袋叩きにしようとしたところを住職に助けられ、それ以来悪さをしなくなったというお話。市内28か所に河童の像がある。

・田子山の富士塚
 敷島神社境内にある古墳の上に作られた人工富士山。富士信仰の為のもの。1872年完成。

・宗岡村総囲堤。
 宗岡村をぐるりと囲む堤。残っていない部分も多いが意外と新田堤など普通の道路になっていて私も普通に通っていた。
 
 さて、学芸員さんにお礼を述べ、さっそく田子山の富士塚に行ってみる。


河童像No24 たごちゃん


 敷島神社の鳥居をくぐると正面にこんもりとした塚がドーンと現れる。
 初めて見る富士塚は、入山時間外。登ることはできなかったがそれはそれで構わない。一回りぐるりと見学させていただくと、正直うるさい。斜面に多分ありがたいであろう石像、石碑の数々が所狭しとおかれている。本当に個人的な感想であるが、やりすぎなのでは?と思います。それぞれに意味も面白みもあるところがまた私の処理能力を凌駕する原因なのでしょう。
 富士塚は基本的に富士山を模して造られるのだが、6つの要件がありそれは以下のこと。
・山頂に祠
・烏帽子岩(食行身禄が入定した場所)
・小御嶽神社(富士山5合目にある)
・黒ぼく(富士山の溶岩)
・御胎内(風穴か洞窟)
・実際に富士山が見れる

 これらを満たし、さらに日蓮が法華経を納めた場所とか、天狗とか、松尾神社とか、石神とか、いろいろてんこ盛りです。
 見ているだけでおなか一杯になったところを花手水の紫陽花が心を落ち着させてくれます。
 さて、後は普通に荒川に走りに行こう。


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